「カルト・マインドコントロール理論に対する考察」の記事リスト

2017年06月20日

マインドコントロール理論に対する考察 その1 洗脳の実在

みなさんこんにちは!コールと申します。

今回からマインドコントロールに関する考察です。
しかし、マインドコントロールは洗脳の後に出てきた言葉であるため、マインドコントロールを理解する前に洗脳について正しく理解する必要があります。

◆「洗脳」の始まり…

 洗脳という言葉はアメリカで「brain washing」という概念が紹介されたのちに使われるようになりました。
この概念の出発点は「共産主義者の思想改造」でした。

朝鮮戦争時、中国共産党は捕虜にした米兵に対して思想改造を行っていました。
それについてCIAは、『アメリカ軍の兵士が共産主義になった。どのような思想改造が行われたのか。』
という報告書を書きました。
これがきっかけで「洗脳」が話題になりました。

そして、この問題に関心を持って取材したのが
エドワード・ハンターというジャーナリストです。
彼は中国共産党の洗脳テクニックを著書で紹介しました。
それ以来「洗脳」という言葉が一般によく知られるようになりました。

◆人の心は簡単に操れない!?

続いて、実際に洗脳は事実なのか、心理学者や精神科医がこれを専門的に調べようということで、
『思想改造の心理』(1979)という有名な著書がR・J・リフトン(精神科医)によって書かれました。
この著書はリフトンが収容所から帰還した米兵に対して行った聞き取り調査に基づいてまとめたものです。

著書は洗脳理論の古典として知られており、ほとんどの「マインド・コントロール」論者は、
最初に「過去の業績としてこのような先見的な研究があった」
というところからと説き始めるという、定番になっている研究です。

 リフトンは著書の中で洗脳のテクニックとして、「環境コントロール」、「特殊用語の詰め込み」、「教義の優先」などからなる8つの要素をまとめ、これらによって洗脳がなされるとしました。

しかし、リフトンはこれらを中国共産党が使用したテクニックと描写はしましたが、人の心が簡単に操れるとは言っておりません。

◆「洗脳」って効果あるの?

リフトンは最終的な効果について、
「彼らを説得して、共産主義の世界観へ彼らを変えさせるという観点からすると、そのプログラムは
たしかに失敗だと判断されなければならない」

と、結論を出しています。

どういうことかというと、捕虜になった兵士たちは「共産主義者になれ」と、
強制収容所で教育を受けます。
つまり、身柄を拘束され、銃で脅されたり拷問を受けたりするので、
みんな表面上は服従し、共産主義者になります。
しかし、その拘束から解放されると、すぐに元に自分に戻ってしまうのです。
ごく一部ですが、
永続的に共産主義者になった人もいたそうです。
しかし、それはもともと反権力的、左翼的な考えを持っていた人でした。
そういった人たちは共産主義の思想に共鳴して共産主義者になりましたが、
大半は外面的な服従のみで、心から共産主義者になっていなかったのです。

研究の結果としてこれらのことがわかったため、リフトンは
「拷問や監禁などの手段を用いても、
人を共産主義の世界観に変えることはできない。」

という結論を書きました。

 しかし、「洗脳」や「マインド・コントロール理論」を唱える論者の大半は、
「マインド・コントロール理論」の先駆的な業績としてリフトンの研究を参照しているにもかかわらず、
洗脳の有効性を否定するリフトンの結論までは言及していません
それは、この結論によって洗脳を行う難しさが明らかになり、
「マインド・コントロール理論」を主張できなくなってしまうため、
あえてこの結論を避けているのです。

◆私を変えるのは私!

最後にこの文を読んで思ったことを書きます。

私は、「私」の意志がなければ自身を変えることはできないと思います。
というのも、部活動の練習や自己啓発本を読む目的は今の「私」を少しでもより良い「私」にするところにあると思うからです。

だからこそ必死になって学んだり、実践したりするのではないでしょうか。
以上で終わります。ありがとうございました。
出典:魚谷俊介著(2011年)「カルト、マインド・コントロール理論の批判的考察」W-CARP JAPAN 広報渉外局

2017年06月04日

カルト論に対する考察 その2 -カルトの定義-

こんにちは!
常に喜びを感じようと生活しているです!!

最近は小さなことにでも感謝をすることを意識していて、毎日を楽しく過ごしています。

さて今回は前回に引き続きカルトについて書きたいと思います。
ぜひこの記事を読む方は正しい見識をもって情報を判断してください。



——カルトの定義——

 

◆ 定義すると大論争!?


まず、国家によるカルトの認定について述べようと思います。


数ある「カルト」定義の中で、国際的で、なおかつ大きな影響力を持っているのが、
フランス国民議会の「アラン・ジュスト報告書」によるセクト、あるいはカルトの定義です。

本来、ヨーロッパでは「セクト」という言葉は使われたとしても、
「カルト」という言葉は使われないようです。


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しかし、フランス国会が人々に害をもたらすような新興宗教の定義をしました。
以下の10項目のいずれかに該当すれば「セクト(カルト)」とみなし、監視の対象としたのです。

①精神の不安定化 
②法外な金銭的要求 
③住み慣れた生活環境からの断絶
④肉体的保全の損傷 
⑤子供の囲い込み 
⑥反社会的な言説 
⑦公秩序の攪乱
⑧裁判沙汰の多さ
⑨従来の経済回路からの逸脱
⑩公権力のへの浸透の試み


新宗教に厳しいフランスでこのような「反カルト法」「反セクト法」のようなものができたので、
日本の反カルト団体が「フランスに学べ」と大騒ぎした時期がありました。


さらに、フランスはこの基準を用いて「セクト(カルト)」をリストアップしたのです。

具体的には、1995年に173の団体をリストアップしたのですが、
その中には日本に馴染みの深い宗教団体もたくさんありました。

つまり、フランス的価値観に合わないものを「セクト」と認定したため、
フランス国外の宗教団体が多く認定されてしまったのです。

そして、ある団体と政府が大言論闘争を繰り広げるという事態を招き、裁判にまで発展しました。


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その結果がどうかはわかりませんが、
フランス政府が「セクト」の数が多すぎてリストアップする必要がなくなったと主張。
2005年に「セクト」のリストアップをやめました。


このように、国家が「カルトとは何であるか」を定義し、
「カルトとはこのような団体である」とリストアップすると、大論争が起きる
のです。


このケースは国が「宗教」と「カルト」を選別することが非常に困難であるということが分かる、一つのモデルケースになりました。
 


◆「カルト」と「その他の団体」の線引きって……?


では大学による「カルト」の認定を見てみたいと思います。

大学当局は「信教の自由がありますので宗教団体、宗教そのものを問題視していません。」と主張しています。

なぜなら憲法第20条3項に、
「国およびその機関は宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」
と書いてあり、

これはつまり
宗教活動をしてはならない」と同時に
宗教に反対する活動も禁止である」ということであるからです。


憲法の精神では「宗教に関して国は中立を守らなければならない」ので、
国立大学は反宗教的活動をすると憲法違反」になるのです。

ですから大学側は
宗教はいいがカルトはだめだ。これは規制の対象である。
と主張しているのです。



しかしここで問題になってくるのが「宗教」と「カルト」はどこで線引きされるのかということです。



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そこで、「カルト」の定義として、太刀掛准教授の論文には、

日本脱カルト協会によれば、ある集団をカルトと呼ぶ基準は、その集団の教義や儀礼が奇異に見えるかどうかであってはならない。あくまでその集団が個人の自由と尊厳を侵害し、社会的に重大な弊害をもたらしているかどうかであるべきである

と書かれてありました(『大学と学生』2010年9月号p56)。



ここで疑問に思うのが、
その集団が個人の自由と尊厳をどの程度侵害したら、カルトとみなされるのか
また、
社会的にどのような弊害をもたらしたら、カルトとみなされるのか
ということです。


実はこれらの疑問を可決でき得るような、
現役信者への聞き取り調査に基づいて測定した客観的データはありませんでした


その他にも多くの学者が「カルト」について定義をしていますが
結局のところ
宗教団体や政治団体とカルトを明確に区別することはできていません

その定義の内容が曖昧であったり、疑問に思う点が多くありました。
 



これらの内容から、

カルトに対するきちんとした定義は存在せず

また、
「カルト」と「その他の団体」を分ける具体的な基準は無い

ことがわかりました。



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◆ 幅広い情報収集を


(ここからは僕個人の意見です)

今日の日本人は
宗教」「カルト
と言った言葉にすごく敏感で、
それらに関するいろんな情報がネット中を飛び交っています。

僕の考えでは、ネットの情報というのは良い情報よりも悪い情報のほうがページの最初に出やすく、
私たち人間も良い情報よりも悪い情報のほうが頭の中に残りやすいように思われます。

一つの物事に関するその実態を知らずに、
その一部分だけ、もしくは個人の主観的な見解で、
その物事全体を判断してしまっている時がよくあるのではないでしょうか?

日々の生活でも、いろんなことに対して、
まずきちんと聞いて、知って、理解したうえで、判断するべきだと僕は思います。

最後は少し堅くなってしまいましたが、これで今回の記事は終わろうと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました!



【出典: 魚谷俊介著(2011年)『カルト、マインド・コントロール理論の批判的考察』W-CARP JAPAN広報局発行】

2017年05月22日

カルト論に対する考察 その1


みなさんこんにちは!
早くも広島大学4年生になってしまった椿です!

あれ、ブログ書くの初めてかも。。
書いてたとしても結構前ですね!Haha


私たちは広大CARPとして誇りを持って活動しています。
しかし、活動していると批判されることがしばしばあります。
もちろんそれらの批判に対して、潔白を証明することができます

今回から数回に分けて
その批判の主な内容であるカルトマインドコントロールについて書きたいと思います。
中心となって反対している人の中には利益を得るために活動している人もいるようです。

是非この記事を読む方は正しい見識を持って情報を判断してください.



◆「カルト」は中立的な概念だった

「カルト」は元々、何かを崇拝する祭儀などの意味がありました。

近代的な意味で使われるようになったのは、デュルケームやマックス=ウェーバーによって確立された、宗教社会学の中の一概念として使われるようになってからです。

ここでは善悪を分けない価値中立的な概念として使われています。


宗教社会学的なカルト概念には大きく分けて2つあり、

その1つはアメリカの宗教学者ハワード・ベッカーによって提示された、
緩やかな組織を特徴とするカルト概念です。

ここでの定義は、
カルトとは緩やかで散漫な組織を持ち、明確な境界線がないことを特徴とする宗教団体」で、
例としては心霊術、占星術などがあります。

他に同様の定義をした学者には、コリン・キャンベル、ロイ・ワレス、メレディス・ワクガイア、ウィリアム・スワトスなどがいます。

 もう1つは、異質あるいは革新的な信仰を特徴とする概念です。
集団的としての構造的な要素ではなく、
その国や社会の主流の宗教文化と信仰内容や信仰内容が極めて断絶している場合に、
そのような団体を「カルト」と呼んでいるものです。



◆「異端」のキリスト教団体


次に、福音主義派という、キリスト教の中でも聖書を文字通り信じる教派における、福音主義的なカルト概念というものがあります。

ここでは、キリスト教の福音主義的な正統から逸脱した「異端」のキリスト教団体を「カルト」と呼びます。



◆ 悪いイメージを張りつけるためのレッテル


そして、三つ目に通俗的でジャーナリスティックなカルト概念です。
ここでは全体主義的で権威主義的な指導体制を持つ宗教集団を「カルト」と呼び、
一般的に極めて侮蔑的に使われます。

もともと学問的に「カルト」には、きちんと価値中立的な定義があったにもかかわらず、
マスコミによってこのような「カルト」概念が乱用されることにより、
その専門的な意味が覆い隠されてしまっています


このような状況に、多くの宗教学者が注意を促しています。
代表的には、ジェームズ・T・リチャードソンというアメリカの宗教学者です。

彼は、
このようなマスメディアによるカルトの用法が意味しているのは『カルトと自分とは相容れないものである。嫌悪すべきものである』ということだ。
そのような『嫌いだ』という感情を、『カルト』という言葉で表現しているに過ぎない。
このような使い方は、特定のグループを攻撃するためのラベルになり、社会的武器になってしまう。

と嘆いています。


このように、一言に「カルト」と言っても複数の意味を持ち、多義的で曖昧な言葉であるのです。

また、何か悪影響を引き起こしている集団を「カルト」というのではなく
あくまでも発言者が「怪しい」、「嫌い」という主観的な感情に基づいて、身勝手に発言しているのではないでしょうか。

その結果、現在では悪い意味になってしまった「カルト」という言葉がひとり歩きしているように思えます。



◆ まとめにかえて
  日常の中にある多義的な言葉



今回の記事はここで終わります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
言葉というものは難しいですね!


このように定義の曖昧な言葉は日常生活にたくさんあると思います。(ここからは僕個人の意見です。)


「カルト」とは少し違うかもしれませんが、しばしば耳にする「ばか」、「ブス」などの言葉も近い印象を受けます。

これらも定義が曖昧で、かつネガティブな意味を持っています。
このような言葉が相手を非難するために用いられた場合、
言った側はすっきりしますが、言われた側は否定することが難しい(定義が曖昧なため)ため
理不尽でも言葉を受け止めるしかありません

主な言う側の心理は、
あなたと私は違う、あなたよりも私の立場は上だ
といったところでしょうか。

これらは言った者勝ちの言葉なのです。

僕も、このような多義的な言葉で人を傷つけないように気をつけようと思います。
同じ多義的でも、ポジティブな意味なら使っていきたいですね!



今度こそ終わります
Thank you for reading!



(出典:魚谷俊介著(2011年)「カルト、マインド・コントロール理論の批判的考察」W-CARP JAPAN 広報渉外局)